蟻の街(8号埋立地)
ありのまち
史跡1960年6月4日 – 1988年 ⚠ 諸説あり
浅草・言問橋のそばから8号埋立地へ移ってきた廃品回収業者の共同体で、潮見で最初のコミュニティです。
蟻の街は、戦災などで住まいを失った人々が1950年(昭和25年)1月頃、隅田公園の言問橋のそば(台東区側)に作った廃品回収の共同体で、その組織は「蟻の会」と呼ばれました。1951年(昭和26年)5月13日の聖霊降臨の日には、屋上に大きな十字架を掲げた「蟻の街の教会」が完成しています。北原怜子(1929–1958)はこの街に移り住み、子どもたちに勉強を教えました。
東京都は移転を求め、8号埋立地の約5,000坪を代替地として示しました。当初は敷地代2,500万円の即金払いが条件でしたが、最終的に都は「敷地代1500万円で5年間分割」という蟻の会の要求を全面的に受け入れました。合意の日は、カトリック東京大司教区が1958年1月19日、Wikipediaが1958年1月20日としています。北原怜子はその直後の1月23日、28歳で亡くなりました。
移転は1960年(昭和35年)6月4日とされ(Wikipedia)、新しい敷地は16,000平方メートルで、旧蟻の街の10倍の広さでした。1960年という年は教区の記録とも一致します。一方、江東区の年表は「アリの会が8号地(潮見)へ移転し、新・蟻の町を設立」を1958年の項に載せています。この1958年は移転の決定を指すとも考えられますが、確かではありません。
新しい蟻の街では、手押し車や重労働の梱包作業に代わってトラックとベルトコンベヤが使われるようになり、公衆浴場、児童公園、保育室なども建てられました。教会も1960年にこの地へ移り、「カトリック枝川教会(蟻の町教会)」として発足しました。しかし8号埋立地は人口の多い市街地から遠く、実際の仕事には不向きでした。1988年、「蟻の会」はその役割を終えて解散しました。
蟻の会の敷地跡には、現在、日本カトリック会館が建っています。
諸説あり
- 1958年 (C44) — 江東区のあゆみ―江戸から令和―
関連する出来事
- 1958年1月 — 東京都が蟻の街の8号埋立地への移転を認める
- 1960年6月 — カトリック枝川教会(蟻の町教会)が発足する
- 1960年6月4日 — 蟻の街が8号埋立地へ移転する
- 1988年 — 蟻の会が解散する
- 1992年11月 — 日本カトリック会館が竣工し、カトリック中央協議会が移転する
- 2015年1月22日 — 北原怜子が「尊者」と認められる
リンク
出典
- 蟻の街 (ウィキペディア日本語版)
- 潮見 (江東区) (ウィキペディア日本語版)
- 北原怜子 (ウィキペディア日本語版)
- 潮見教会(小教区紹介) (カトリック東京大司教区)
- 東京教区ニュース 第15号(1975年12月1日) (カトリック東京大司教区)
- 東京教区ニュース 第136号(1996年9月1日) (カトリック東京大司教区)
- 東京教区ニュース 第209号(2004年1月1日) (カトリック東京大司教区)
- 江東区のあゆみ―江戸から令和― (江東区)
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